いい人を探して

いよいよホアパン県を駆け回る旅も終わり。
今回のラオス行きでは新品の靴を買っていったのですが
さんざん土の道を歩いたせいで、
もうこんなによれよれの土まみれになってしまいました。

前回記事でムアンエットの調査先ががめつくて
(ウッタラーさんいわく「お金好き」)げんなりしたと書きましたが
なにげにここまでであった歌い手さんは全員が「お金好き」で
どういうわけか皆さん小金持ち。
調査を申し込むなり目をキラキラさせて
「なにそれ!いくらくれるの!」と聞いてくる女性(ちょっと美女)とか。
同じホアパン県で機織りする女性たちの長期調査されている人から
「村ではお金なんて全然使わない」と聞いていたのに。

平和な村での調査をしたくてラオスに来たのに、
完全に搾取型ビジネスマンのつもりで
ドライに商取引として調査する心づもりをせねばならんのかと
期待とのあまりの落差に衝撃を受けてへこんでおりました。

ところが。

ムアンエットからの帰りのバス内で
実は最後にひとつ、紹介していただいたものの
時間がきつくて行くのをあきらめていた村の歌い手さんが
どうやら「お金好き」ではないということが発覚。
普通の農民で、仲介してくれた方が話を持ちかけると
快諾したうえに一切お金がどうという話をされなかったのだそう。
なんと、ついに聞いていた「普通の人」が!

そこで急きょその方の村を調査できるよう、
新たに調査手続きをすることに。
村があるのはサムヌア郡なので、やろうと思えばすぐ手続きが可能。
しかも、どうやら連絡すれば私たちに会うために
村からサムヌアまで来ていただけるらしい。
なんとありがたい。(ほんとは村まで行きたいけど)

しかしウッタラーさんの帰る予定は
ムアンエットから帰った(前回記事の)翌日。
午後2時発のバスに乗る予定。
時間がない!
しかも明日は金曜日!
ラオスでは「小さい土曜日」と言われ、あまり仕事しない日!
しかも明らかに前回無理をしたので情報文化局から嫌われている!
それでもどうにかなるよう策を練り、次の朝。

ラオスの役所の朝は早いです。
なんと朝の8時から開いています。
そこで8時に新たに作った調査スケジュールを持ってまず県庁へ。
幸運にも担当のえらいさんが8時半に登庁。
さっそくお願いして情報文化局に紹介状を書くよう指示する
書類を作成してもらうことに。
なんかよくわかりませんが、
情報文化局より県庁の方が偉いらしいです。
30分ほどで書類ゲット。

それを近くのコピー屋さんでコピー。
また書類が増えました。
県庁から県の情報文化局までは徒歩だと15分以上かかるので
以前電話番号を聞いておいたトゥクトゥクに電話して
(路上でほとんど流してないので、ほっとくと全然つかまらない)
情報文化局へひとっぱしり。
運よく会議もなく普通に担当のおじさんは仕事をしており
今回は通常の業務手続きを踏んでいたのですんなり紹介状げっと。
やった!
それをもって近くにある郡役場に行き、
そこの郡情報文化局に村への調査許可を発行してもらうことに。
日焼けしたのか秘書さんに生まれて初めてラオス人に間違えられて
ちょっと喜んだのもつかの間。
なんと局長さんは会議中。
おおう、なんと。

時計を見ると10時半。
会議が終わるのは11時半らしい。
すぐハンコ押してくれたらいいけど、11時半から昼休みやん。
昼休みペンディングされたら書類ができるのはいつになるやら。
ともあれ秘書さんに書類を託し、時間が開いたので市場へ。

図らずも店の奥で真剣にじゃれあう子猫になごむなどして

ひとまず歌い手さんと会うべくバスターミナルへ。
私もちょっと今回一人ではまだなにもできないことを痛感したので
ウッタラーさんと一緒にヴィエンチャンに帰ることにして
ここでバスチケット2枚購入。
エアコンの付いたVIPバスで1人190,000キープ。
財布の札束を見てまだまだ余裕があると思っていたのに
一気に5万キープ札が8枚飛んで
財布の残高がわずか1万キープになって焦る(笑)
これでは昼飯にフォーも食べられぬ。
こんなところにも危機が潜んでいたとは。

とりあえずこれでは昼飯もおごれないので
ウッタラーさんに急きょお金を借りる。

歌い手さんが12時過ぎに無事到着。
確かに寡黙ないい人。ごつい手で握手していただいた。
そこで郡役場に連絡すると、無事村宛ての紹介状が出来たらしい!
おおおおお!!
というわけで、歌い手さんを紹介してくれた方の車で
ウッタラーさんは役場へ。
私はひとりでなんとか歌い手さんとぎこちない会話をしながら
フォーをついばむ。
おおおなまりが今まであった人のなかでダントツにきつくて
ぜんぜん聞き取れないいい。

悪戦苦闘する事20分ほどしたところでウッタラーさん帰ってくる。
しかし書類のコピーがないので再びコピーを取りに行き
ようやっと書類をすべて歌い手さんに託した!
時はすでに1時半!

だあああぎりぎりセーフ!

間一髪で書類仕事完了!
無事いい人にも会えて良かった!
世の中なんとかなる!

そんなわけで慌ただしく歌い手さん(とほか村の方)と別れてバスに乗り
延々17時間かけてヴィエンチャン到着。
ながかった!

書類は続くよどこまでも

昨日ヴィエンチャンに到着。サムヌアの旅は終了。

前回記事で無事調査させてくれるお宅が二つ見つかったことを
書きましたが、それから少し日が開いてしまいました。
その間に何をやっていたかと言うと、書類の旅です。

一通り書類の旅を終えて分かった、
ラオスの地方で調査するための手続きは以下の通り。

                                                                                                            • -

1.@ヴィエンチャン
外務省から調査許可(バイサヌー)をもらう。
受け入れ機関から紹介状をもらう。
(あと、ほんとは情報文化省からの紹介状が必要だったらしい)

2.@県庁所在地
外務省からの調査許可と紹介状に基づいて県庁から調査許可をもらう。
県庁からの調査許可と、
「何月何日どこどこ村で調査」と書いた調査予定表に基づいて、
県の情報文化局から各行き先の郡宛ての紹介状をもらう。

3.@郡役所
県情報文化局からの紹介状と調査予定表に基づいて、
郡の情報文化局から村宛ての紹介状を書いてもらう。
(手書きだったりする)

4.@村
郡情報文化局からの紹介状と調査予定表を
村長さんと調査先に渡して事情を説明、承諾してもらう。

                                                                                                            • -

と、遠い!!!!!!
これが社会主義国家のやり方です。
基本的に中国でもこれに近かったし。
(でももうちょっと書類が少なくて適当だった)
ラオスの制度はベトナムに学んでいるらしいので
ベトナムでも似たような感じなんでしょうか。
日本ではどうなんでしょうね?
日本人なので日本で外国人が調査するうえでの手続きは知りませんが
それなりにややこしい…ことはないか。
ちなみに今回はちょっとごにょごにょ不備があり、
いわゆるちょっとした「追加経費」が必要でした。
「困ってもやりようはある」
「現地の受け入れ先のラオス人がいることが手続き上極めて重要」
というのが今回学んだことでしょうか。
ちなみに、長期調査のためのビザ手続きはこれとまた別にあります。
そっちは全部ヴィエンチャンのなかで完結できますが。
うおおおおややこしい。

そんなわけで、村が決まったことでこの書類リレーが始まったのでした。

ふたたびバスで6時間かけてムアンエットに行き、
まだ就業時間内なのに水浴びに行ってた(さもありなん)
ムアンエット郡情報文化局の人に紹介状を書いてもらって
ムアンエットの調査先であるルー村のお宅で一泊。


私は気が付かなかったのですが、ウッタラーさんは
この家ではしつこく「調査受け入れ契約の契約書書くから次も来い」と
言われてとてもげんなりしていたらしい。
それを後で聞いて私もげんなり。
いや、調査報酬が明瞭になっていいのかもしれませんけど…。
(ちなみにそんな契約を結ぶ義務は公式書類のどこにもありません)
写真の食事の時も「日本人だから特別な料理が必要か」と聞かれて
「そんなことはない」と返事をしたのですが、
どうもこれも単なる興味や私への配慮というより
「特別な料理が必要ならそれを用意する金を余計にふんだくれるぜ」
という意図だったらしく…やれやれ。

翌朝7時に出てバスに乗り、
また6時間かけてマ川を見ながらヴィエンサイへ。
ちなみに昨日聞いたところによると
マ川ではベトナムの企業が砂金採取をしていて
年に2〜3回毒を撒いて砂金採取にじゃまな生き物を死滅させるため
マ川に魚はおらず、川の水で水浴びもできないのだそうな。
なんたる環境破壊。
金を買う気が失せるけど、
こういう話は貴金属や鉱物資源採取につきものなんですよね…。
時々川に浮かんで砂利をあさっている船は砂金採りだったのか。


(いい写真が撮れなかったのですが、遠くにちっちゃく見える
 ブルーシートかぶった船が砂金採り船)

ルー村はムアンエットからすぐなので楽だったのですが
ヴィエンサイ郡の調査先ムアンリェット村は
ヴィエンサイからかなり離れているので結構面倒。
(ヴィエンサイからサムヌアに行く途中にある)

ヴィエンサイ行きの交差点でバスを降り、
ちょうどそこで親戚を待っていた黒タイ族のご婦人に
トラックを呼び止めてもらい、
(「黒タイ族には旅人を助けるといういい風習があるのよ」と
 ウッタラーさんは言っておられました)
ウッタラーさんは助手席、
私はトラックの荷台に乗って
ヴィエンサイの郡庁所在地を取り囲む美しい崖を眺めながら
ヴィエンサイへ。
そこで紹介状を書いてもらって、
荷卸ししてちょうどサムヌアに帰るところだった、
行きに乗ったトラックでムアンリエット村へ。
調査先の歌い手さんに電話をすると今家にいないとのことだったので
まあ村長さんに書類渡せばいいかと思っていたら
いざ村に着いて村長は誰かと聞いてみたところ
なんと当の歌い手さんが村長だったというヲチが付き(笑)
たった2日で書類リレー仕事完了!

しかしまだ終わりではなかった…

忙しい日々ひと段落?

調査者がつかまらないまま終わるんじゃないかと思われた
ムアンエット2日目の昼でしたが、
なんとその夜にムアンエットからバイクで10分の村にいる
歌い手さんを紹介してもらえることになり
帰りのバスの都合で早朝7時(こっちでは普通の「朝」らしい)に
急きょ会いに行くことに。
川を渡って尋ねに行きました。

渡し船

無事調査を承諾していただき、
大急ぎで市場で朝食を買いこんで
バスに飛び乗ったのが午前8時半。
なんとも慌ただしくも幸運のうちに
ムアンエット最終日を終えることができました。
帰り道では病気も治ってさわやかに

道端の家を撮ってみたり

稲刈りされるのを待つ田んぼを撮ってみたり。

運転手さんともちょっと仲良くなった気がします。

やっぱり、移動は元気な時にするのが一番ですね。

サムヌアに到着してトゥクトゥクに乗ったところで
偶然運転手さんが近くの歌い手さんの村に
友達がいるということがわかり、
「朝早くから稲刈り行ってるだろうから今行った方が良いよ」
といわれてそそくさと歌い手さんのおうちに行くことになりました。
行ってみたらなんと、セミプロ。
ケーンラオスの笙。歌掛けに欠かせない楽器)も達人。
なんかフランスの研究機関かなんかも取材に来たらしく
「あなたをケーンの達人に認めます」的なよくわからん
県からの賞状まで持ってました。
一応、調査も承諾してもらえて、
なんと1日に調査先を2人も確保!
前日のどんよりが嘘のようにラッキーな一日でした。

ま、大事な筆箱を完全に紛失してしまって
(おそらくムアンエット行きのバス内で盗まれた)
運としては差引ゼロだったのかもしれませんが…。

これでおおむね調査先確保の旅はおしまい。
疲れたあ。

ムアンエット

サムヌアで慌ただしく役所めぐりをしたり
さっそく調査を受け入れてくれそうな方のおうちに
お邪魔したり
(行ったときはOKと言われたけどさきほど断りの電話が…しくしく)
大変忙しく過ごしておりました。

そして昨日は朝から激しい下痢に悩まされつつ、
日程の都合上予定変更もしづらいので
やむをえずバスでムアンエットへ。
ここには以前2月に聞いたカップの歌い手がいる…はず。
しかし死んだという噂も。
ともあれ行けば誰か見つかるだろうというわけでこんな感じで大移動。


(Aがサムヌア、Bがムアンエット)

(途中休憩中のバス)

こんな感じの未舗装道路を行くこと6時間。
なんとかムアンエット到着。
さっそく(へろへろではありますが)聞き込みをしてわかったこと。

1.2月に歌を聴いた歌い手さんはやっぱり亡くなってた
2.どうもその人がこの地域で歌い手として認められている
  最後の人だったらしい。

という、大変悲しい事実。
うーどうしようと思いつつ、とりあえずゲストハウスへ。
熱をはかってみたら37.5度という大変微妙ながら発熱が認められ
気が付けば下痢はすっかり治って発熱のみだったので
これはいかんと抗生物質を飲んでぐっすり寝ました。

おかげで今日はかなり改善。
抗生物質が効いてよかった。
でも、やっぱりこっちでは収穫なしであることは
はっきりしたので、しかたなく市場を散歩。

それからマ川を見物。

うーんしかしどうしたものやら…。

サムヌア到着

突然ですが、
私は本来ヴィエンチャンでおいしいコーヒーをすすりながら
オサレビジネスマンよろしく日がな一日パソコンに向かうために
ラオスにいるわけではありません。

ホアパン県で「カップ」と呼ばれる歌掛けの調査をするために
来ているのです!!!!

(あえて強調)

えー、今年の2月末に初めてラオスに来てからいつの間にやら
9か月もたっているのですが、まだ行政上の手続き中です。
(手続きについてはまた後日まとめる予定)
ただともあれどうにか調査許可はそろったので
2週間ちょっとの予定でサムヌア(ホアパン県の県庁所在地)に
行くことになりました。
今回は公式に行く第1回目なので
私の受け入れ先である文化研究所の、
手工芸部門ディレクターという
とてもえらいウッタラーさんという
おばさま(まさにおばさま)になぜかついてきてもらっております。
いちおうお目付け役なのですが、
私のラオス語レベルはまだ大変低いので
ものすごく助けていだたいております。

というわけでサムヌアはどこかというと、こんな感じ。

(Aがヴィエンチャン、Bがサムヌア)

Google先生によると走行距離631㎞、9時間半ほどで着くらしいですが
道が大変うねってるしそもそも高速道路じゃないので
前回サムヌアからヴィエンチャンに帰ってくるときは
22時間かかりました。
ぞぞお。

ところが。
今回は昨日午後2時発のバスに乗って、
着いたのは今朝の7時!
なんと15時間!
どおりでえらいぶっとばしてると思った。

(到着して荷物を降ろすスタッフ)

(籠の中からコケコッコーとか一番鶏が鳴いておりました)

で、思ったよりずっと早く着いたので
とりあえず前回泊まっていたホテルに行ったら
なんと「1か月も前から予約を入れている」客がいて一杯だったので
隣のホテルへ。
こちらもWiFiが使える。すばらしい。
こんな田舎なのに。
ちなみに、ここはハノイに抜けるルート上なので
地味に白人バックパッカーと思しき人もいました。
さすが…。

ともあれホテルに落ち着いて、
まず必要な行政手続きをしにうろうろ歩き回り、
なんだかんだと(ほとんどウッタラーさんが)やり、
余った時間で市場を見てきました。
隣に新しい建物が出来ていましたが
市場は相変わらず。

ひろーい。

りすー。

手工芸の専門家なだけあって、
ぬかりなく竹細工をチェックするウッタラーさん。

ウッタラーさんにはほんとに助けてもらいっぱなしで
私にはない積極さでいろんな方に調査対象となりそうな
歌掛けの名手を探していただいております。
どうにか明日から、お世話になっていいという方が見つかるよう
とりあえず今夜はよく寝ます。
明日も一日がんばるぞ!

ワット・ナーク

どこにも載っていないお寺、ワット・ナーク。
とはいえヴィエンチャンは京都並みにお寺がうじゃうじゃあるので
(私の宿の5分圏内に3つもある)
観光ガイドブックに載ってない寺はなんぼでもあります。
前回の滞在中とあるラオス研究者に
「変なお寺」「お寺の中の丘がなにやらすごい霊力」的な感じで
おすすめされていたのを思い出して
行ってみました。
場所はオーストラリア大使館の隣。
日本大使館からもすぐそこ。

これが鳥居的な門。

…確かになんか変。
だいたいそもそも、普通ヴィエンチャンのお寺にこんなのないし。
謎です。
門になんかてきとーな感じで書いてあるし。

入口に着くとさらなる手書き看板が。
なんなんだここは。

なんちゃらかんちゃらようこそ!みたいなことが書いてある(と思う)。
なんですかここは。
怪しい新興宗教の道場ですか。
人っ子一人いない昼間なのに怪しげな雰囲気。

そして中に入ると、確かに本堂のわきに謎の丘が!

丘の頂上からナーガがうねうねと伸び、
丘の周囲を囲む壁の上には仏様が鎮座しておられます。
たしかに何か感じる。
ブッダパーク的何かが!

こんな感じで!

丘のなかに1体だけ置かれていた謎の踊る像。
コワイ。

さらにふと横を見ると、なぜか祭壇にマネキンの胴体が置いてある。
うううなんだこの心霊スポット。

だいたい、この丘の頂上もなんかおかしい。
頂上に仏様とナーガという定番取り合わせがいるのですが、
このナーガよく見ると仏さんガードしてない。
ナーガは仏さんを守護するために傘になるんじゃないのか。

謎だ。あやしい。この丘は怪しすぎる。

なお、この丘以外は基本的に普通の小さいお寺です。
というわけでもしヴィエンチャンでお暇でしたら
ふらっとどうぞ。
ふふふふふ。

ボートレース祭り!

オークパンサーの次の日は
ラオスでもっとも盛り上がるボートレース祭り。
ラオ語で「ブン・スワン・フア」(ボート漕ぎ祭り)といい、
ヴィエンチャン近在の村々からボートが出て競います。
ボートはラオスで信仰を集めるナーガであるとされ
大変神聖なものとして扱われています。
Youtubeでなにやら紹介動画を発見。
 実際外国人混じりのチームはめったにないと思いますが)
 http://youtu.be/mJQpQNC1

以前これの研究者橋本彩さんの発表を聞いたこともあり
これはぜひ見なくては!と朝から微妙にテンション高め。
しかし宿はまあ、普通。
道の人ごみも前日と大して変わらず。
…あれ?

そう、この日はとっても暑いので、あまり外で見なかったりします。
私も朝はエアコンの効いた部屋でテレビ観戦。
それにしてもラオス国営放送が、
いつもえらいさんの演説ばっかり流してるラオス国営放送が
生放送するなんて!!!

しかしテレビで見るのと現場で見るのは大違いのはず。
いかな暑いといえども出撃しないわけにはいきません。
幸い私の宿からレース会場まで徒歩10分ほどなので
11時過ぎにがんばって行ってきました。

うん、確かに川岸は黒山の人だかりです。
屋台やアイスクリーム屋も出ています。
ジュース屋さんももちろん。
ジュースを冷やすための氷がすっかりとけて
水になってましたけど。

川岸についてみると船が流れてきました。
…こんなのが。


ビアラオ宣伝屋形船。
前の方では狭い所でお姉さんがラオスの踊りを踊り
後ろではバンドが生演奏。
電気はたぶん発電機…かな。
こういうのが数艘のんびり行ったり来たりしています。
他にも何艘かが練習中。

ふむふむ、どうやら歩いてきている間に
お昼休憩に入ってしまったらしい。
いったん帰ってお昼を食べて、涼しい部屋に入ると
一気に汗がだあああああああ!!!
外に出ている間にものすごい日光に晒されて
熱をためてしまったらしい。
か、体が熱い!皮膚が暑い!
どんだけ暑いんですか!
ベッドでぐったりして、寝るや起きるやテレビ見るやで
ぼーっとしているといつの間にやらもう3時過ぎ。
いかんこのままでは本番を生で見ずに終わってしまう。
すっかり涼んだので宿から飛び出てふたたび会場へ。
今度こそはちゃんとやってました!
勇壮なレース!

ちょうどメコン川の向こう側に傾いた日差しにきらめく水面を
すーっと進んでいきます。
漕いでいる人たちは懸命ですが、ボートの動きは滑らか。
船体は極力細く、喫水は浅く、まさにスピードを出すのに
適した川船です。

ちょっと見づらいですが、
船の先にはカトーのようなものが祀られています。
村で舟を祀る儀礼をしてきたのでしょうか。
このへんは、よく知ってる人に聞きたいところ。

人ごみのなかで見ること20分ほど。
2つ3つレースが終わったところで、
「もう終わりだよー」と言いながら
人々がぞろぞろと帰りはじめました。
どうやら決勝的なところだけ見れたらしいです。
よかったよかった。

この日でお祭りも最後。
帰る道々のあちこちでゴザを広げたり、
庭先のテーブルで宴会を開き、歌って踊る人々が。
宿(厳密には隣の系列ホテル)でもスタッフと友人たちが飲み会中。
誘われるままふらふらと…


揚げバッタ。

ほんとにおいしいんですよこれ。
ちなみに屋台で揚げタガメも試しましたが、
ちょっと大きすぎて肉ニクしい感じ。

他にも焼き鳥を食べながら、
いつしかなぜかギター弾き語りをする人も現れ、
どんちゃん騒ぎのうちに夜も更けていきましたとさ。

(この夜ここにカメラ忘れて帰ったのですが
 ちゃんと宿の人に拾われてて翌日返していただきました。
 ありがたやありがたや)